最終面接
基本情報
場所 | web |
時間 | 30分 |
社員数 | 1人 |
学生数 | 1人 |
結果通知方法 | マイページ |
質問内容・回答
①ESの自分史の内容について
[幼少期]
・幼稚園の劇では、脇役ながら誰よりも大声でセリフを言っていて、先生や両親を驚かせた。
[小学校]
・幼いころから絵を描くことが好きで、絵画展に初めて入賞してとても嬉しかった。
・水泳や体操、ピアノ、公文など好奇心旺盛さから多方面に興味を持ち、習い事をしていた。
・小学校3年生で引っ越しをすることになり、引っ越し前のクラスメイトからお別れ会で歌と手紙をもらい、号泣してお別れをした。
・引っ越し先の小学校の同級生には、引っ越しをしてきたことを知らなかったと何度か言われるほど、新しい環境に適応していた。
・小学校5、6年生の担任の先生が授業の空き時間に百人一首を教えてくれてよく遊んでいた影響で、友達と協力して百人一首のクラブを立ち上げて学校最大人数のクラブとなった。
[中学校]
・絵が好きだったことから、美術部に入部した。
・委員会は任意参加であったが、委員会の活動が好きで、3年間所属していた。
・映画館に初めて一人で行き、ソロ活動の楽しさを知った。
・中学校の百人一首大会では、3年間入賞し続けた。
・高校は百人一首の部活があることを軸に選んだ。
[高校]
・念願の競技かるた部に入部し、1年の冬には優勝し、初めてトロフィーをもらった。今でも親交のある大切な仲間に出会えた。
・1年生の頃に受けた進路ガイダンスの中で、大学受験に膨大なお金がかかることを知り、指定校推薦を取ることを決意した。
・2-3年では定期試験1カ月前から計画を立て、自習室での勉強を習慣化し、テスト、成績共にクラス順位トップを取り続けた。また、クラスメイトに勉強をよく教えていて、インプットだけでなくアウトプットもしていた。
・1年次に短期留学に行く予定であったが、前日に交通事故に遭い、中止となった。人生のどん底を味わったが、来年リベンジするためにリハビリや英語の勉強に励んだ。
・2年生で留学のリベンジを果たし、諦めず挑戦することの重要性を実感した。
・目標であった指定校推薦で第一志望の大学合格を掴んだ。
[大学]
・最後の学生生活で新しいチャレンジをしたい、運動部に対する憧れ、自然が好きといった理由で、今まで縁のない体育会系の部に入部した。
・今まで文化部であったため、同期との体力の差を感じ、自主トレーニング始めた。
・2年生で夏合宿の計画者に抜擢され、計画に奔走していたが、合宿当日は自分のことに精一杯になってしまい、先輩に頼り切りで不甲斐なかった。
・自信を無くしていた中で、リーダー養成合宿に参加し、部活運営に携わりたい気持ちが大きくなり、副将になることを決断した。(写真参照)
・春休みは月100キロ走り、体力面でも頼られる先輩であるために努力した。
・3年生の夏合宿は、近年実施していない内容を提案し、自分がリーダーとして一から計画を立て、体力面でも後輩を支えることができて、後輩から「〇〇さんがいたから乗り越えられた」と声をもらい、リベンジを果たした。
・副将と並行して広報係も担っており、HP、インスタグラムの運営をしていた。インスタグラムでは部の活動報告をしており、部員が撮影した写真に手書きでデザインを加えていた。部活内外から好評でフォロワーを100人増やした。
・次第に運動が好きになり、プライベートで富士山に登るなど日本の山標高トップ3を制覇した。
・アルバイトはパン屋、結婚式場スタッフ、泊まり込みで農業や旅館業など幅広く経験した。
・結婚式場では接客スタッフとして、新郎新婦の大切なご両親やご友人の方々と関わるたびに、人生のターニングポイントに携われることにやりがいを感じた。
・部活とアルバイトと学業とプライベートの全てを充実させるために、スケジュール管理が上手くなった。
・今までの人生で「人」に支えられてきたこと、「人」と関わるからこそ面白味があると実感し、「人」を支えられる仕事に就きたいと考えるようになった。
面接詳細情報
面接官の社員の特徴 | 幹部 |
面接官の印象 | よくしゃべる面接官 |
面接の雰囲気 | ・終始フランクな雰囲気で進んだ ・説明して相手の話を聞く面接というより面談に近い和やかな雰囲気だった |
評価されたと感じたポイント | ・トリッキーな面接であってもすぐに対応した姿勢 ・よくしゃべる面接官であったため、相手が気持ちよく話せるよう聞く姿勢も意識した |
対策やアドバイス | ・ESの見直し ・どこを突っ込まれても話せるように大人や役職持ちの社員など雰囲気に呑まれないようにする |